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三好長慶の家臣の十河一存はどんな武将?子孫など簡単に説明!

戦国時代

あなたは三好長慶の家臣であった十河一存をご存知でしょうか?

三好家を軍事面で支えた猛将であり、実はその子孫が現代でも活躍していたりします。

そこで、三好長慶の家臣の十河一存はどんな武将であったのかについて、その子孫なども含めて簡単にご説明したいと思います。

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十河一存はどんな武将?

十河一存(そごう かずまさ)は、三好元長の四男として生まれました。

兄には、三好長慶、三好実休、安宅冬康がいます。

讃岐十河城主の十河景滋の世継ぎであった十河金光が早くに亡くなってしまったため、十河一存は養子として送られ、十河家の家督を継ぐことになりました。

摂津江口の戦いや、中尾城の戦い北白川の戦いなど数多くの戦いに参戦した猛将であったと言われています。

そんな歴戦の勇士であった十河一存は、病にかかり、永禄4年(1561年)に30歳という若さでこの世を去ります。

軍事面で三好長慶をよく補佐していた十河一存が死んだことにより、三好家の衰退が始まったとも言われています。

十河一存の逸話

鬼十河の異名

十河一存は、ある戦いで左腕を負傷してしまいます。

普通ならば治療に専念するため、戦いからは遠ざかるのでしょうが、十河一存は傷口を消毒するために塩を塗り、藤の蔓を包帯代わりにして、再び戦場に出て勇猛果敢に戦いました。

この姿を見た敵が恐れおののき、「鬼十河」という異名をつけたそうです。

松永久秀とは不仲だった

十河一存は、同じく三好長慶の家臣であった松永久秀とは不仲であったと言われています。

また、十河一存の死んだ際に近くに松永久秀がいたことから、「松永久秀によって暗殺された」という噂が当時の京都に広がったそうです。

十河一存の髪型が江戸時代に大流行!?

十河一存は、脂性であり、長時間にわたって兜をつけていると蒸れてできものが出来てしまうため、前髪を全部抜いたうえで、さらに大きく広げて剃った髪型をしていたと言われています。

この独特の髪型が、江戸時代の中頃、武士たちの間で「十河額」と呼ばれて突如流行したそうです。

月代を広く、四角く剃り込んだ「十河額」は、平和な世の中にあって、少しでも十河一存のような勇猛な精神にあやかりたいと思った武士の間で流行したんですね。

ちなみに、十河一存が生きた同時代においても、この髪型は真似されていたようです。

その真似をしていたのは十河一存の家臣たち。

十河一存は、武勇に長けていたため、人望があり、家臣たちが髪型を近づけたんですね。

十河一存の子孫

十河一存の子供

十河一存には次のような子供がいました。

  • 三好義継
  • 十河存之
  • 松浦信輝

三好義継は三好長慶の養子となり、三好家の家督を継ぐことになります。

現代でも活躍する十河一存の子孫

十河一存の子孫に十河宏輔さんがいます。

日本大学商学部を卒業し、エニーマインドグループのCEOとして活躍されています。

新卒で入社した会社で圧倒的な営業成績をあげ、さらにはシンガポールで起業するなど、勇猛果敢なビジネス精神は十河一存ゆずりなのかもしれません。

参考記事(日本経済新聞)はこちらからどうぞ。

口癖が「張る」、つまり、「他社に先んじて陣地を張る」「市場を取る」という言葉をよく言うというのも武将らしい感じがしますね。

まとめ

十河一存が「鬼十河」と呼ばれる猛将であったことや、その子孫が現代でも活躍されていることが分かりました。

戦国時代の武将たちの子孫が、今もビジネスの世界で戦っているなんて、なんだかロマンを感じますよね。

実は、あなたも戦国武将の子孫だったりなんかして?

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