「日本の副王」とも言われた三好長慶。
畿内を支配し、実質的に天下人とも言えるほどに力があったそうですが、織田信長が上洛するよりも前に亡くなってしまいます。
死因は病死であったとされていますが、三好長慶の死について、その死因も含めて調べてみました。
三好長慶の病死
三好長慶は、永禄7年(1564年)に病死しました。
43歳でこの世を去ることになった彼の晩年は、悲しいものでした。
遡ること3年、永禄4年(1561年)から三好長慶の転落が始まります。
その年に弟の十河一存が急死してしまったのです。
猛将でもあり、三好家の軍事面を担っていた十河一存が亡くなったことにより、反三好勢力の動きが活発化することになりました。
畠山高政と六角義賢が協力して三好家に侵攻することになり、永禄5年(1562年)に久米田の戦いが発生します。
この戦いで、三好長慶の弟であった三好実休も戦死してしまいます。
その後、永禄6年(1563年)に三好長慶の跡取り息子であった三好義興が22歳という若さで亡くなってしまいます。
相次ぐ弟や息子の死により、三好長慶は心身ともに弱ってしまいます。
そんな中、永禄7年(1564年)に三好長慶は、弟の安宅冬康を呼び出して殺害してしまいます。
この事件については、家臣であった松永久秀が裏で暗躍し、三好長慶に安宅冬康を殺させたという説もあります。
ちなみに、三好兄弟(三好元長の息子たち)についてまとめると、次の通りとなります。
・長男 三好長慶
・次男 三好実休
・三男 安宅冬康
・四男 十河一存
・五男 野口冬長
三好長慶は、安宅冬康を殺してしまったことを大変後悔した言われ、それが決定打となり、病が重くなってしまったようです。
そして、三好長慶は、安宅冬康が亡くなった年と同じ年に病没することになりました。
三好長慶はうつ病だった?
一説によれば、三好長慶はうつ病であったと言われています。
三好義興が亡くなった頃には、三好長慶は心身に異常をきたしており、正常な判断ができなくなっていたようです。
また、安宅冬康を殺害したのも、「うつ病の末期症状による被害妄想」による説や、「集団自殺・心中」の心理が働いたとする説もあります。
父であった三好元長や、他の三好一族が戦乱の中で戦死する等、悲運な最期を遂げていたことも、三好長慶に「自分は安らかには死ぬことができない」という強迫観念を与えていたのかもしれません。
まとめ
三好長慶が病死によりこの世を去ったことや、うつ病を患っていたとする説があることが分かりました。
「日本の副王」であった三好長慶がもっと(健康で)長く生きていたら、日本の歴史が変わっていたかもしれませんね。
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