あなたは三好長慶の家臣であった松永久秀という武将をご存知でしょうか?
三好家の家臣として力をつけ、あの織田信長に反旗を翻すなど、戦国時代に影響を与えた武将です。
そこで、三好長慶の家臣であった松永久秀がどんな武将だったのかを、逸話も含めて簡単にご紹介したいと思います。
松永久秀はどんな武将?
出自
松永久秀は永正5年(1508年)に生まれました。
出身地については、摂津国や、山城国、阿波国など諸説あります。
25歳か26歳ごろから三好長慶の右筆(書記)として三好家臣の一員となります。
松永久秀は、最初は武将ではなく、右筆という文官として働いていたんですね。
三好家の家臣として
主君である三好長慶が細川晴元や足利義輝らを追放して京都を支配すると、松永久秀は公家や寺社との折衝を担当することになります。
三好家との交渉をするためには、公家や寺社はまず松永久秀に連絡する必要があったんですね。
さらに、永禄3年(1560年)になると、松永久秀は大和一国を統一するなどの働きを見せ、三好家の家臣の中でも有力な将として力を持つようになっていきました。
その後も久米田の戦い、教興寺の戦いなどの合戦にも参戦するなどして三好家の中で活躍していきます。
そうやって松永久秀が力を付けていく中で、主君である三好長慶の弟たち(三好実休・安宅冬康・十河一存)や嫡男である三好義興がこの世を去っていきます。
三好長慶の弟たちについては、別に記事を書いていますので、こちらをどうぞ。
・三好実休
・安宅冬康
・十河一存
この時点で松永久秀は三好家における最有力家臣の1人となっていて、三好長慶の後を継いだ三好義継を支えることになります。
三好義継の下、松永久秀は三好三人衆と協力していましたが、その後、対立することになり、「松永久秀VS三好三人衆」という形で三好家の内乱が勃発することになります。
ちなみに、三好三人衆とは、三好長逸・三好宗渭・岩成友通の3人の武将を指します。
織田信長の上洛とその関係
永禄11年(1568年)に足利義昭を擁立した織田信長が上洛することになります。
この時、松永久秀は織田信長の同盟者という立場となり、織田信長に協力します。
さらに、織田信長の協力を得て、三好三人衆との戦いで支配が弱まっていた大和国を平定していきます。
しかし、この後、信長包囲網が形成されていく中で、ついに松永久秀は三好義継、三好三人衆らと組んで織田信長に反逆することになります。
結局、このときの反逆は上手くいかず、多聞山城を差し出して降伏することになります。
最期
天正5年(1577年)になると、松永久秀は、上杉謙信、毛利輝元、石山本願寺などの反信長勢力と協調する姿勢を見せ、織田信長による本願寺攻めから無断で離反して、信貴山城に籠城し、敵対姿勢を明確にしました。
これに対して織田信長は、織田信忠が指揮する軍を信貴山城に送り込み、包囲してしまいます。
このとき、松永久秀は織田方の使者に会おうともせず、結局、名物の茶器を叩き割って天守に火をつけ、自害しました。
このとき松永久秀は68歳であったと言われています。
松永久秀が持っていた茶器
平蜘蛛
松永久秀が所有していた茶器の一つに平蜘蛛があります。
蜘蛛が這いつくばっているかのような形をしていた茶釜で、松永久秀が自害する際に叩き割ったのが平蜘蛛であったと言われています。
一説では、松永久秀が平蜘蛛に爆薬をつめて爆死したとも言われています。
九十九髪茄子
松永久秀は九十九髪茄子(つくもかみなす)も所有していました。
もともとは足利義満が所有していた茶入であり、所有者が何回も変わった後、松永久秀が一千貫で購入したと言われています。
その後、織田信長が上洛する際に、松永久秀が降伏の印として織田信長に贈りました。
松永久秀の名言
「世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。」
「日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい」
「名を惜しむ勇士は死に際の養生こそ心がけるものなり」
「平蜘蛛の釜と我らの首と二つは、信長殿にお目にかけようと思わぬ。粉々にうちこわすことにする」
松永久秀の逸話
- 三好家家臣として莫大な富を築いたが、その富は出世のために使い、あるいは名物の茶器を購入するために使った。
- 中風の予防のため、毎日頭に灸をすえていた。自害の直前でさえ、灸をすえていた。
- ケチな性質だったと言われる。
まとめ
松永久秀が名物の茶器を持っていたことや、織田信長に協力するものの、反逆を繰り返したことなどが分かりました。
初めはただの文官であったことから考えると、天下人であった織田信長に反旗を翻すまでの武将になっていたことは、松永久秀は1人の戦国の出世頭であったと言えるかもしれませんね。
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